IBM i ハードウェアの次の35年間はどのようなものになるか
IBMは、IBM i プラットフォームで64ビット メモリー アドレッシングの先へと進むのだろうか。次の35年間で量子プロセッサーはどうなるのだろうか。これらは、先日のIBM i の35回目の誕生日のお祝いイベントの際に、元IBMチーフ アーキテクトのFrank Soltis氏の頭に思い浮んだ疑問です。
1988年夏のAS/400の発表から35年経っても、IBM i プラットフォームが今なお健在である理由の1つは、それに向けて開発されたすべてのソフトウェアに混乱をもたらすことなく、新たなハードウェアを取り入れることができることです。もちろん、こうした適応能力にも限度はありますが、それは、数十年もの長きにわたって使用されてきた中で、IBM i プラットフォームとその顧客をずっと支え続けてきた強みなのです。
6月21日のAS/400の誕生日を祝って開催されたウェブキャストの北米向けセッションで、Soltis氏はこうした特質を超能力に喩えています。
「私たちの見解としては、AS/400およびIBM i を、ある意味、無敵の存在にしているのは、テクノロジーの独立性だと思います」と彼は述べています。「このハードウェア プラットフォームは、上層のテクノロジーから独立しています。そして、このことにより、古いものを抜き出して、新しいものを差し入れることが可能となります。そのため、実質上、シームレスなのです。」
新たなハードウェアが導入されなかったことで、ミニコンピューター ビジネスにおけるAS/400の最大のライバルだったHewlett-Packard社のHP3000の運命が決まったとSoltis氏は述べます。
「彼らが抱えていた問題は、テクノロジーを前進させられなかったことです」と彼は述べます。「プラットフォームを64ビット テクノロジーへ移行しようとして、プラットフォームに関連付けていたソフトウェアを台無しにしてしまいました。これは、インストール ベースでやってはならないことです。そうなったら、「そこは担当外でしたので」と言って逃げ出すしかありません。」
AS/400はもちろん、1988年の発表時点のアーキテクチャーであった48ビット アーキテクチャーから、発表の数年後には、64ビット アーキテクチャーへと移行しています。このプラットフォームのTIMI(Technology Independent Machine Interface)層のおかげで、48ビットCISCプロセッサーから新たな64ビットRISCプロセッサーへの移行に際して、既存のアプリケーションの大半がそのまま変わりなく稼働することができたのは驚くべきことでした。
それはAS/400史上最大のハードウェア変更だったのかもしれませんが、それが唯一のハードウェア変更というわけではなかったとSoltis氏は述べます。
「長い年月の間には、AS/400およびIBM i の下に20種類以上のハードウェア プラットフォームが存在してきたという指摘を受けました」と彼はそのZoomウェブキャストで述べています。「ハードウェア プラットフォームの変更は、継続的に行っていました。ところが、性能や容量や操作性の向上を別にすれば、誰も違いに気付きません。極めて古いソフトウェアも稼働できます(推奨しているわけではありません)が、世にある最新のシステム上で、まさにそうしたソフトウェアを稼働することができるのです。そのようなことができるものは他にありません。」
そして、今後、IBMがハードウェア独立性の威力をどう発揮しようとするか次第では、あの48ビットから64ビットへの移行も、史上最大のハードウェア変更ではなくなるかもしれません。
「そう考えるのは、プラットフォームそのものに、最新テクノロジーが現れたら取り入れるための特性がすべて備わっていると思うからです」とSoltis氏は述べています。「ご承知の通り、新しいテクノロジーは次から次へと現れます。問題は、それらを取り入れることができるかどうかです。」
AS/400が64ビット プロセッサーへ移行する前に、IBMのすべてのコンピューターを1つのプロセッサーで統合しようとする計画がありました。Soltis氏によれば、その計画では、32ビット プロセッサーが採用される方向だったそうです。幸いなことに、プラットフォームを別の方向へ向かわせる役割を彼が果たします。
「AS/400の導入後、フル64ビット実装へ向かう必要があると私たちは実感していました」と彼は述べています。「そして、もちろん、ロチェスターのエンジニアたちは、進んで独自の64ビット コンピューター システムの開発に取り組んでいました。ところが、その当時、IBMの経営幹部は、すべてのシステムに共通のプラットフォームを持たせようとしていたのです。」
Soltis氏が述べたように、IBMのプレジデントは、本当にミネソタ州ロチェスターの研究所にやって来ました。研究所は辺鄙なころにあったため、これは非常に珍しいことでした。ロチェスターでIBMプレジデントは、プラットフォームの将来はこのPowerプロセッサーだと説明します。
「私たちはそれを見て、こう言いました。これは32ビット技術の科学技術計算プロセッサーです。バイナリー浮動小数点演算がビジネスに必要だと言う人はほとんどいません」とSoltis氏は述べます。「必要としていたもののほとんどがありませんでした。そのため、最初の感想はこうでした。それはどうかご勘弁を。」
IBMのプレジデントに向かって、彼の32ビットPowerプロセッサーを彼のAS/400プラットフォームから遠ざけるよう物申すのは、「キャリア終了につながる一手」になりかねない、という自覚はSoltis氏にもありました。しかし、彼は駄目もとで、AS/400にはふさわしいプロセッサーがあると力説したそうです。
「先にも述べたように、彼はエンジニアでした」と、Soltis氏はIBMプレジデントについて述べています。「彼は認めてくれました。ビジネス コンピューティングに必要なテクノロジーを得られることになったのです。そして彼は、研究開発部門のトップに話を付けて(研究開発部門がPowerアーキテクチャーのオーナーでした。今もそうだと思います)、必要とするものは何でも提供するよう指示してくれたのです。」
それが、AS/400のハードウェアの伝統における決定的瞬間となりました。その瞬間からPowerが、AS/400アプリケーション向けのメイン プロセッサーとなります(入出力、暗号化など向けに使用されるすべてのアウトボード プロセッサーを除いて)。
Powerチップの設計に及ぼす影響が大きくなり、Soltis氏と仲間たちは、将来への備えをハードウェアに組み込もうとします。
「今日のPowerアーキテクチャーにもいくつかあります(もちろん代表的なのは単一レベル記憶です)が、64ビット アドレスでは不十分という懸念もあったため、どうにかしてPowerアーキテクチャーに72ビットおよび80ビットのアドレスを組み込むようにしたのです」と彼は述べます。「64ビットがさらにどれほど大きいシステムになるのか考えてみるなら、それに2の16乗を掛ければよいのです。そして、まだ実装していませんが、そこにあることは明らかです。」
IBMの意思決定者をある方向に向かわせるように説得することは、必ずしも簡単なことではありません。エンジニアであるだけでは足りないとSoltis氏は述べます。IBMの経営幹部から、自分のアイデアにゴーサインを出してもらいたいなら、営業マンのスキルも必要だということです。
「S/38の開発では、プログラムをちらっと見て「うまくいかないのではないか。あまりに違い過ぎる。IBMはコンピューターをそんなふうには作らない」と言われたせいで、プログラムがボツにされたことが何度もありました。だからこそ、まず初めに、自分がやっていることは正しいと固く信じる必要がありました。そして、自分がやっていることがどうして正しいのかきちんと説明できる必要もありました。そのようにしたからこそ、実現できたのであり、欲しかったもののほとんどを手に入れることができたのです。実のところ、Powerに欲しかったものは、すべて手に入れることができたと思います。もっとも、まだ使われていないものもありますが。」
Soltis氏は、いつかプロセッサーでシリコンに取って代わり得る、いくつかのテクノロジーに注目してきました。IBMには、量子コンピューティング製品があります。そこから、興味をそそられる質問が投げ掛けられました。
「私たちは、量子コンピューティングへと、ベースを移すことができるでしょうか」とSoltis氏は尋ねます。「私の答えは、イエスです。おそらくできるでしょう。だとすると、次の35年間、未来は非常に明るいと思います。」