IBM i のウンチクを語ろう
~ その42:User & IBM NEXT 2019福岡大会とDX
皆さん、こんにちは。先の10月16から18日にかけてUser & IBM NEXT 2019福岡大会に参加してまいりました。1990年に静岡県で開催された、第一回iSUCつま恋大会から数えてちょうど30回目にあたります。iSUCの歴史によると初回参加者数は510でしたので、現在のざっと半分程度の規模だったようです。正確なところはカウントしておりませんが、私自身はこの大会を含めて全部で20回くらいは参加していると思います。初期の頃はAS/400製品企画部門に配属されて間もない時期でもあり、人様に何かを説明できるだけの知見・経験に加えて話術の力に乏しかったために、ただの一聴講者としていくつかのセミナーに参加したに過ぎませんでした。講師として多くの方に様々な情報を提供させていただくようになったのは、これまでのiSUCの歴史における後半部分程度といったところです。
元々は米国のCOMMONというユーザー向けイベントがあって、これを日本向けにアレンジして持ち込んだのがiSUCです。海外だと名前を認知していない方も多いですが、IBM i コミュニティの中であればCOMMONの日本版(COMMON Japan)であると説明すれば理解してもらえるようです。ヨーロッパにも同様のイベントはあって、今年だと例えば10/27-29にCOMMONスウェーデン 、10/30にCOMMONデンマーク、11/1にCOMMONノルウェーといった具合に、COMMONはあちこちの国で開催されています。
毎年米国ミネソタ州ロチェスターにあるIBMの製品開発部門から、ゲスト講師を招聘していることはご存知の事と思います。チーフ・アーキテクト、すなわちIBM i 技術(アーキテクチャー)の責任者として、かつてはAS/400産みの親とされるFrank Soltis、彼の引退後はSteve Willが毎回来日しています。Steveによると、日米の違いとして目立つのは参加者の年齢構成なのだそうです。日本ではベテランがいると、大抵若い方が同行するケースが目立つ、大変に望ましい事だと褒められた(?)事があります。ちょっと上から目線のコメントとなり恐縮ですが、IBM i の次代を担う後継者として無事に育ってくれる事を願っております。あと、IBM i を中心に据えたユーザー向け大会の中では、参加者数世界一ではないかとの事です。
今年の大会で目立ったキーワードは「DX(デジタルトランスフォーメーション)」ないし「2025年の崖」でした。経済産業省が昨年公開したレポートと、そこに登場する将来日本のITの危機を表す言葉ですが、今や業界の流行語と言っても過言ではありません。ベル・データのセミナーに留まらず、福岡大会全体を通じてかなり多くの出展者が意識していたようです。DXは元はと言えば、ITが人々の生活を良くしてゆく様を表す、スウェーデンの大学教授が2004年に提唱した概念なのですが、伝搬の過程で様々な組織がそれぞれの立場を反映しながら派生定義を生み出している世界共通語です。一方の「2025年の崖」は経済産業省が作り出した日本独自の用語です。内容がわからないとプログラムを改修できない、ブラックボックス化すると必須であるはずの改修を行えず経済損失が生じてしまう、すなわち「崖」から転落してしまうというわけです。X-Analysisなどプログラム解析ツールの活用が有効な対策になるわけですが、開発元であるカナダのFresche Solutions社経営層の方々(福岡大会参加のために来日されていました)が経産省レポートの存在をご存知だったのは少々意外でした。調べてみたら経済産業省の英語サイトに「Report on Digital Transformation (DX)」という英語要約版が掲載されているのを見つけました。「2025年の崖」には「2025 Digital Cliff」という訳語が当てられています。おそらくこれを読んでいたのでしょうか。私はそれまで外人と話す時には勝手に「Year 2025 Crisis」(2025年の危機)と意訳していたので、彼らからCliff (崖)という単語が出てき時、最初は一体何の話をしているのだかわかりませんでした。それにしても地球の裏側にも知られているとは、お役所が創作した言葉としては、なかなかのヒットなのではないでしょうか。
さて、DXや「崖」の話題で溢れていた大会とその前後の中で感じた、「なるほど」と「あれ?」を一つずつご紹介したいと思います。
一つ目はRPA(Robotic Process Automation)に関するものです。人間が行うべき面倒なPC操作を、ソフトウェア(ロボット)の力で自動化するツールです。省力化ないし働き方改革のための即効性ある手段ではあると思うのですが、DX実現の文脈の中で語られると、どうしても違和感を覚えざるを得ませんでした。RPA検討前に、そもそも問題になっている作業の必要性を評価したり改善の検討をしたりするべきではないか、と思うわけです。業務アプリケーションが既にブラックボックス化してしまっていたら、本来はそこにメスを入れるべきなのに、もしかしたら将来のブラックボックスを新たに積み上げる事になりはしないでしょうか。つぎはぎで成り立っているシステムは、ブラックボックス化しやすい事を思い浮かべていただければよろしいと思います。だからと言ってRPAはまやかしである、とまでは言いませんが。
RPAに実装したプロセスは、ある程度のサイクルで基幹業務の中に取り込む検討を行うべき、という指摘がセミナーの中でありました。基幹業務の更改サイクルは例えば5年とか7年といったように長期になる傾向があるのに対して、RPAロボットの方ははるかに短期間で開発し実装できます。即効的利便性を追求しないわけにはいかないとしても、何の管理・抑制もされないままにRPAロボットが野放図に増殖を続けたら、結局属人的で中身がわからない負のIT遺産が膨張してしまいます。例えばExcelについて同様の現象を既に経験されている方は多いのではないでしょうか。そうなる前に定期的にロボットを整理して、ベースとなる基幹業務に組み入れる事を検討するべきというわけです。あまり目立ちませんけれども、至極もっともな考慮点だと思います。
「あれ?」の方は、「ブラックボックスはIT部門が招いたものだ」という、セミナー・アンケートにおける経営側の方の指摘です。ITの世界の中で発生している問題点なのだから、これをそのまま経営側に伝えるのは無意味である、という事なのでしょうか。ご当人に詳細をうかがうチャンスは無かったのでコメントの真意はわかりませんが、経営とITとの間に溝がある可能性を感じました。
経産省がDXだの「2025年の崖」だのといった、ITに関わる話題をわざわざ拾い上げてレポートにまとめ、日本経済の先行きについて警鐘を鳴らそうとしている意図を考えてみるべきなのだろうと思います。ブラックボックス化は誰の怠慢が招いた厄災である、といった議論はDXレポートにはありません。前回コラム「情報通信白書で『2025年の崖』の背景を読み解いてみる」において述べたように、安井の理解では日本のかつての社会・経済環境に遠因があります。ただ必要なのは今後取るべきアクションであり、経産省は「DXレポート」の中で、経営層にITへの関与を求めています。今年7月になって発表した、「デジタル経営改革のための評価指標(「DX推進指標」)」においても、各企業の経営幹部、事業部門、DX部門、IT部門などが協議しながら、自社ITを診断する事を想定している旨明言しています。経営とITとは表裏一体のものであるという認識が世間に浸透するには、まだまだ時間がかかるのかも知れません。
ではまた