IBM i のウンチクを語ろう:その119
- IBM Championという役割 -
皆さん、こんにちは。何年か前に沖縄県の離島と言われる石垣島を訪れたことがあるのですが、かの地に飛行機で降り立った後、そのまたさらなる離島である西表島や竹富島に足を延ばす際のフェリーの発着場脇に、ボクシング界の王者であった具志堅用高氏の銅像が立っています。Championと聞くと、どうしてもチャンピオン・ベルトを締めたこの伝説的な方の銅像が頭からついて離れないという、我が発想の貧困さに呆れてしまうのですが、多くの方は何をイメージされるのでしょう。
英和辞典を引いてみると、Championには競技の優勝者といった意味もありますが、何かの主義・主張のために戦う闘士とか擁護者といった意味も見つかります。IBM Championとは、字義的にはIBM製品やサービスを擁護するために戦っている闘士、全世界的にこのプログラムを推進しているIBMは、その製品・サービスをプロモーションする活動が顕著であると認定したIBM社外の人達、といった意味を持たせているようです。
様々なIBMソリューションのカテゴリにおいてIBM Championが認定されており、IBM PowerすなわちIBM i やAIX・Linux関連ということでは、IBM Powerのユーザー企業に加えて、マシンやソフトウェアの販売、SIを生業にしている企業の社員の方々がその候補になり得ます。日本国内にどれだけの母数があるのか把握しておりませんが、ユーザー企業数を考えると、もしかしたら7桁に達しているのではないでしょうか。安井自身が初めてChampionに認定された2021年当時は日本国内にIBM i はおろかサーバー関連の同志が極めて少なく、やや寂しい思いをしておりました。最近はIBM i 関係者だけでも10名近くに達しており、そこそこの勢力を保っていることを心強く感じています。
IBM i に対して、世間の多数派は製品の現実を認識せずにレガシーなシステムだといった否定的な印象を抱き、これに対して製品の真実と信じていることを背景にする少数派は肯定的な主張を繰り広げる、といった対立構造があるように常々感じています。少数派には、多くの人達が目を向けていない現実を知れば評価も変わるはずだといった信念のようなものがあるのでしょう。闘士などといった大それた意識は全く持ち合わせていないとしても、IBM i の真実を広めようとしているということは、結果的には戦っているのかもしれません。Championであれ、私が以前から会社から与えられているエバンジェリストというタイトルであれ、この行動原理に変わりはありません。ここで、信念を説得力ある言語に置き換えられることが重要で、これがうまく機能しないとただの頑迷になってしまいそうです。
過去の記録を紐解いてみると、会社のマーケティング施策の一環として私自身が初めてエバンジェリストとして認定されたのが前職時代の2006年でした。そのタイトルを引きずったまま現在の会社に転籍し、2001年にIBM社から公式にChampion認定を受けて現在に至っています。最初から明確な目的意識を持ってこの役割を引き受けていたのであれば我ながら立派だと思うのですが、そもそも何をやれば良いのか理解しておらず、エバンジェリストって人がやらない仕事を押し付けられる割に合わない係なのか、というのが第一印象でした。
エバンジェリストとかChampionと言うと、技術者として第一人者というイメージが強いのですが、私にはそのような経験はありません。最初に上司からエバンジェリストに任命するからと打診された時に、私は技術者ではないので他にもっと適任者がいるのでは、といった具合に反応したような気がします。これに対して、IBM i のお客様は最先端のテクノロジーを極めるよりも、ビジネスを着実に遂行するためにテクノロジーがどのように役立つのかという点が関心事であり、それを訴求するのに技術者であることは前提条件にはならない、といったように返されました。さらに、技術力を必要とするケースに直面したら他の部門を頼れば良い、と畳みかけます。理屈ではそうかもしれないけれど、何となく無理を感じるなあと思う一方で、実際に何もやっていないうちから否定的なことばかりを並べても致し方ないな、とも考えます。自分の組織の役割を考えると、あながちミッション外だと主張もできません。いよいよ自分には無理だとなったら、他の誰かに引き継いでもらうようあらためて交渉しようと考えたところで、その場のやり取りは終わりました。
立場が先行し、行動がいずれその立場に次第に追いついてゆく、といった具合に機能するのが世の常なのでしょうね。当人に何の自覚も無いままに、エバンジェリストという制度とその任命者が社内で公になりました。IBM i に関してお客様に新機能を説明して欲しい、Webページに記事を公開するのでその文章を書いて欲しい、セミナーを開催するのでその場で講師を務めて欲しい、といった要求に追われるようになります。
作文は嫌いですし、人前で話そうとすると文章が頭の中から「蒸発」してしまうのは、新たな肩書を得たからとて変わるものではありません。大それたことを考えている余裕は無くて、私の文章・説明に致命的な間違いが無く、訴求するべき点は漏れなく網羅されている、軽微な誤りを完全に排除することはできないだろうけれども何かあったら修正すれば良いだろう、といった最低ラインを当初は目指しておりました。決して褒められたものではない低い目標であっても、繰り返すことの効果は本人の意識とは無関係らしく、時間の経過と共に世間の評価はそれなりに良いものに変わってきたような感じがします。実際には否定的評価を無意識にスルーするテクニックを身に着けただけなのかもしれませんが、世間に受け入れてもらえていると感じることは、当人の行動に良い影響を及ぼしたに違いありません。
新たなChampion候補者を推薦して欲しい、といったメールをIBMから受け取ったのは昨年末のことでした。Championを増員することはIBMのマーケティング施策上も理に適っています。IBM以外の人達がIBM製品やサービスをプロモートした方が客観性があって効果的ですし、その勢力が拡大すればするほどその声は大きくなります。IBM社員が同じことをやっても、ある意味当たり前だと見なされがちです。また一方で、エバンジェリストであれChampionであれ、若手を育てて欲しいという会社の要望を意識したこともあって、私自身も社内で候補者を物色しておりました。
「バリバリの」といった雰囲気ではないものの、入社以来IBM i に関わり続けていて愛着を感じ、製品情報を世間に向けて発信することにやりがいを感じている若手技術者、という属性の持ち主は理想的ではないかと思います。アプローチはかつての私の場合と全く同じ、当人と上司が拒まなければ、自信が無いと言っても、実際に携わっていないので当然のことだと説明します。まずは肩書を持ってもらうことで、いずれは次第にそれらしくなってゆくだろうという発想です。こんな経緯で弊社二人目のChampionが誕生しました。2027年になりますが、これに続く方がいらっしゃればと思っております。
IBM i における最大の懸念事項は、スキルを備えた人材の確保だと言われています。これは日本だけではない、世界共通の傾向です。アプリケーション開発・保守やシステム運用などの領域においては、これからBobが強力な助っ人として働いてくれるようになってゆくでしょう。そうであったとしても、Bobを活かすのは結局は人です。Championという肩書があろうとなかろうと、皆がIBM i の認知度を高めようという意識を持って取り組めれば良いなと思います。イギリスのロックバンドQueenも「We Are the Champions」(作詞・作曲: Freddie Mercury)と歌っています。ついでながら「最後に愛( i )は勝つ」(作詞・作曲: KAN)と主張している方もいらっしゃいましたね。
ではまた
