IBMへの社名変更から100年:ブランドがすべてではないものの、良いブランドがあることは大事なこと
IBMのルーツを、その起源にまで遡ろうとしたら、コロンビア大学のハーマン・ホレリス(Herman Hollerith)氏と、彼が発明したパンチ カード タビュレーティング マシンに辿り着くことになるでしょう。このマシンは、最終的に1890年の米国国勢調査の集計作業に使用されることとなり、これがタビュレーティング マシンにとって初めての大規模な商用利用となります。
当時のメインフレームは、木と銅と紙でできていました。そして、1911年、Tabulating Machine Co社として知られるホレリス氏のパンチ カード マシン事業は、オハイオ州デイトンの卓上秤メーカー、業務用秤メーカー、およびタイム レコーダー機器メーカーと統合されることになります(これらの機器は産業革命の要となりました)。結果として生まれた企業連合体は、コンピューティング・タビュレーティング・レコーディング社(C-T-R: Computing-Tabulating-Recording Co)として知られていますが、こうした種々異なる製品ラインを整理して、何らかのビジネス価値を見出せるようになるのは、1914年に、ナショナル・キャッシュ・レジスター(National Cash Register)社での20年を経て、トーマス・ワトソン(Thomas Watson)氏(ジュニアではなくシニア)が同社に加わってからのことでした。
それから10年後、正確に言えば1924年2月15日(ちょうど1世紀前)に、ワトソン氏が「International Business Machines Corp」と名付けたものが具体的な形になり、新会社には、秤およびタイム レコーダー事業は含まれないこととなりました。
上の図からお分かりのように、IBMが「IBM」であることを自認し、それをロゴに採用するまでには、しばらく時間が必要だったようです。パンチ カードからSystem/360メインフレームへ移行するのに40年掛かり、それから約60年が過ぎます。としてみると、この100年の間に行われたコンピューティングの大部分は、主にIBMが設計し、他社が模倣したマシン上で行われたということになります。
実際に始まったのは10年前であるものの、1980年代に開発された機械学習技術が基になっている、生成AIシステムの第3の波に対しては、同じことは言えません。この大変革は、IBMが手掛けたものではないからです。その中心はNvidia社です。しかし、Nvidia社が、IBMが耐えてきた時の試練に耐えるかどうかは、今はまだ分かりません。そして、大雑把に言えば、IBMのコンピューティング プラットフォームが何らかの形で利用されるようになって134年になります。2127年の4月にコンピューティングの世界がどのようになっているかは想像もつきませんが、その年にNvidia社は134年目を迎えます。