IBM命名警察の目をかいくぐる
「Merlin(マーリン)」という名前を聞くと、魔術師が魔除けの呪文を唱えたり、妖精たちが空を飛び回ったりするような、魔訶不思議な世界のイメージが思い浮かびます。少なくとも、IBMが醸し出そうとしている、典型的なビジネス コンピューティングのイメージとは対極的なものです。IBM i 製品ラインアップに加わった最新メンバーの製品名をめぐる物語が、これほど真実らしからぬものに思えてしまうのも、そうした魔訶不思議な世界のせいなのかもしれません。
22か月前、 IBM ロチェスターの開発者たちには、IBM i における開発および運用プロセスのモダナイズを促すであろう新製品のアイデアがありました。それは、VS CodeをベースにしたWebベースのIDEということに加えて、ソース コード管理のGitおよび継続的インテグレーション/継続的デプロイメント(CI/CD)のJenkinsとの統合をもたらすものでした。また、それはOpenShift( Red HatのLinuxベースのKubernetesディストリビューション)上のコンテナで稼働することとされました。
この製品がMerlinと名付けられることとなったというのは言うまでもありません。そして、先々週、ニューオーリンズで開催されたPOWERUpカンファレンスは、 Merlinの話題で持ち切り でした。IBM i におけるモダンな開発を担うニューフェイスは、カンファレンスで多くの関心を集めることになります。これはIBMのエグゼクティブたちにとっても、嬉しい驚きだったようです。
POWERUp 2022で、5月23日の午後に行われたMerlinに関する基調講演で、Steve Will氏は、Merlinと命名されるに至った経緯について話題に取り上げました。Will氏は、長年にわたってIBM i チーフ アーキテクトを務め、 先日、その経歴にIBM i CTOおよびDE(Distinguished Engineer: 技術理事)の職位が加わりました。そこで明かされたのは、その名前を認めてもらうに当たっては、すんなり事が運んだわけではなかったということでした。
「こうしたアイデアを思い付いて、製品名はキャッチーなものにしようと考えていました」とWill氏は約300人の聴衆に述べました。「製品のアイデンティティのようなものについて話し合うところから始めました。この製品は様々な物事を簡便化するものだ、ということから、ITの世界で操作や処理を簡便化してくれるツールが「ウィザード(魔術師)」と呼ばれているということが頭に浮かびました。そうしたらすぐに、名前は「Merlin」だと思いました。」
ところがIBMでは、プロダクト マネージャー、さらに言えばCTOやDEであっても、製品に自分の付けたい名前を付けられるわけではありません。名称選定に関して守らなければならない一定の基準、順守すべき手続きがあるからです。そこでWill氏は、そうした基準や手続きの維持管理を行っているIBM内の担当部署へ出向いて、自らの言い分を述べました。
「そのため、命名警察へ出頭することになりました」とWill氏は続けます。「IBMには命名警察というものがあります。製品名を認めてもらうには、命名警察に出向く必要があるのです。」
Will氏は、「WebSphere Automation for IBM Cloud Pak for Watson AIOPs」などのように、いくぶん無茶な名前をこっそり通そうとしていたわけではありませんが、当初のアイデアからは押し戻されることもあるかもしれないと想定していました。Will氏は、IBM Z向けのVS CodeベースのIDEにメインフレーム チームが要望した「Wazi」という名前を、つい先日、名称管理部が承認していた事実を掴み、彼らを説得する材料として準備していました。ちなみに、Waziは、実のところMerlinのモデルでもあります。
「何の意味もない、このような格好いい名前に決まったと、その少し前に、IBM内の他のどこかの部門から発表されていたのです」とWill氏は述べています。「「Wazi」というのは、何かの頭字語になっているわけでもありませんでした。IBM Zの「z」は含まれるものの、たった2音節の単語です。それならきっと、「Merlin」も認めてもらえるだろう。」
ところが、話はそれほど簡単には進まなかったようです。名称管理部は、Will氏の提案を却下します。Will氏によれば、「空想の世界のイメージが強過ぎる」というのが理由だったそうです。「Merlinという名前を付けられないのだとしたら、これからどうしたらよいのだろう。」
Will氏は振り出しに戻り、名称管理部に気に入られ、理解してもらえそうなIBM名らしい名前を、どうやったら生み出せるか考えを巡らしました。IBM流のやり方にならえば、複数の単語から成る名前である必要があるでしょう。それらの単語からキャッチーな頭字語が作り出せるのが望ましいようです。IBM製品によく見られるパターンです。
Will氏は、製品が置かれている状況を踏まえながら、一言一句にこだわって、じっくり、とことん考え抜きました。「まず第一に」と彼は述べます。「この製品は、モダナイゼーションを支援するものであり、前に進む支援をする数々のテクノロジーの複合体だということです。それゆえ、これは「modernization engine(モダナイゼーション エンジン)」ということになります」と彼は述べます。これで、「M-E」です。ここまでは順調です。
「この製品は何をするためのものでしょうか。ソフトウェアのライフサイクルを支援し、きちんと統合されることを目指します。そこから、「lifecycle integration(ライフサイクル統合)」です」とWill氏は述べます。「こうして、「IBM i Modernization Engine for Lifecycle Integration(ライフサイクル統合のためのモダナイゼーション エンジン)」と呼ぶことになりました。その中から適当な文字を拾い集めると、「Merlin」になります。」
名称管理部によれば、「IBM i Modernization Engine for Lifecycle Integration」というのは良い名前だということでした。そして、その名前の使用の承認がWill氏に下ります。しかし、落とし穴がありました(落とし穴はいつもあるものです)。名称管理部は、常に「IBM i Modernization Engine for Lifecycle Integration」という名称を使用しなければならないと言うのです。つまり、頭字語である「Merlin」だけを単独で使用してはならないということです。
「実のところ、画面の中で皆さんが話しているのは、Merlinについてです。Modernization Engine for Lifecyle Integrationについて話しているのではありません」とWill氏は説明します。「しかし、私たちがMerlinと呼びたかったからと言って、公式の製品名は、後者です。私たちがどう呼ぶかは関係なく、私たち以外は皆、Merlinと呼ぶようになりつつあることは命名警察にも訴えました。それでもMerlinと呼んではならないと言うのです。分かりました。それでは、私たちはそう呼びましょう。Merlinの命名には、そのような経緯があったというわけです。」
Cognitive Systemsのバイスプレジデント兼グローバル オファリング マネジメントのSteve Sibley氏は、この件について異なった見方をしています。
「Merlinと名付けたのは、誰かが素晴らしい頭字語を思い付いたからというわけではないと思います」と、5月23日午前の基調講演で彼は述べています。「きっとSteve Will氏が、ホグワーツのCOMMONで着たローブをもう一度身に纏って魔法を使ったのでしょう。」
しかし、Merlin命名の物語にはまだ続きがあります。IBM内には、製品名の管理を行っている部署の他に、製品に関連するアイコンやロゴの管理を担当している部署もあります。アプリケーション開発を担当するビジネス アーキテクトのTim Rowe氏は、Merlin(いや、IBM i Modernization Engine for Lifecycle Integrationでした)に、意にかなったアイコンを使用できるかどうか、当初は疑念を抱いていたと述べています。
「命名警察がいます。そしてIBMデザイン警察もいます」と、Merlinについて技術的な解説を行った5月23日の「Deep Dive」セッションでRowe氏は述べています。「彼らは実在しています。そして、イメージやアイコンはすべて、IBMデザイン警察の承認を得る必要があったのです。」
Rowe氏は、アイコン用に、6~7パターンの異なるデザイン案を提出しました。そして喜ばしいことに、承認されたのは、魔法の杖のようにも見える棒が特徴的な、Rowe氏お気に入りのデザインだったのです(ちなみに、伝説の世界のマーリンは、オークの杖を持っています)。
Rowe氏は仰天したようです。「命名警察は「Merlin」を見逃してくれなかったのに、そのデザインが通ったことにはひどく驚かされました」と彼は述べます。「何者かが、IBMデザイン警察に何かを仕掛けたと思ってしまうほどでした。」